地球が与えてくれる、かけがえのない贈り物「自然」。私たちANEOSグループは、「自然と人との共存」を大切にして参りました。
社会経済の高度化により、地球規模での環境破壊が課題となっています。また、かつてない自然災害が世界規模で発生し、人々の暮らしを脅かしています。そのため、自然環境の観測、自然災害の予測が、今まで以上に重要になっています。
1886年の創業から130年にわたる豊富な実績を礎に、高度な技術力を持つ小笠原計器製作所。そして、常に時代の先端技術を取り入れた気象観測ソリューションを提供する日本エレクトリック・インスルメント。この2社が令和元年8月に合併し、新しい社名の下、ANEOS株式会社として次の時代へ一歩踏み出しました。
観測機器で自然現象を高精度に「はかる」。そして、観測したデータをIoTやクラウド等のICT技術を活用し、ワンストップで気象観測のソリューションを提供すること。それが、私たちANEOSの使命です。気象観測のリーディングカンパニーのその先を目指し、新たな価値創造に努めて参ります。
どうぞ、ご期待ください。
代表取締役会長 野澤 侑司
代表取締役社長 野澤 裕
気象観測ソリューションとは、単に気象測器を販売することではありません。お客様が、気象データをもとにどのような「安心・安全」をめざしていらっしゃるのか。私たちはお客様と同じ目線で、お客様の立場に立って課題をとらえ、ともにソリューションを作り上げていきます。お客様の目的実現をサポートするために、お客様の声をもっと大切にするために・・・その想いから、ANEOSでは製品の開発、製造、システム設計、施工、保守までをワンストップでご提供いたします。
ANEOSは、世界に誇る高度な自社開発力で、高精度な気象観測機器を世に送り出しています。それら製品は、品質の維持および向上をめざして自社製造を行っています。そして、開発・製造を通じて製品のことを知り尽くしているので、ご導入後にも適切な保守が行えます。気象観測は、計測の連続です。お客様のニーズに合わせて成長し続ける、拡張性を視野に入れた観測システムを構築し、保守・運用を続けながら次世代のシステムへとつなげていくことも大切です。そうしたデータの引き継ぎを可能にするのは、ネットワークやクラウドなどのICT技術を取り入れた先進的なシステム設計です。お客様が抱える課題に対し、ANEOSが豊富な実績を通じて培ってきたノウハウを活用し、ベストソリューションを提案いたします。
世界最高水準の品質 ✕ 先進技術によるソリューション提案力を強みに、ANEOSは、お客様の「気象観測ソリューション・パートナー」でありたいと考えています。
「週末の運動会は晴れるかな?」「そろそろコートを着ようかな?」誰もが毎日見ている天気予報。これは日本国内約1,300箇所の気象観測所で構成される、気象庁のアメダス(地域気象観測システム)からのデータが基礎となっています。
気象庁内の地域気象観測センター(通称アメダスセンター)ではアメダス観測所で得られたデータを10分ごとに自動で収集しています。
データは品質チェックを経たのち全国に配信され、気象災害の防止や軽減に重要な役割を果たします。
弊社の雨量計はアメダスの運用が開始された1974年以来ずっと採用されています。
さらに2005年より整備された04型アメダスでは、弊社の風向風速計、通風式温度計、積雪計も採用され、日本の気象観測を支える役割を果たしてきました。
南北に長い国土を持つ日本中をカバーするアメダスでは、北の極寒、南の灼熱と幅広い環境でも365日24時間途切れることなく安定的に継続した気象観測を行うことが求められます。
アメダスでの実績が弊社の気象測器の耐久性と高い品質を証明しています。
アメダス/AMeDASはAutomated Meteorological Data Acquisition Systemの略称です。
日本の空を、1日約3,600機の航空機が行き交っています。そうした数多くの航空機の安全な離着陸を確保するため、全国の飛行場では航空気象観測を行っています。
観測している気象要素は、風、視程、滑走路視距離、大気現象、雲、気温、露点温度、湿度、気圧、降水量、降雪または積雪の深さなどです。これらデータをリアルタイムに収集し、航空機への離着陸許可や誘導など、空港での管制を支援しています。
全国約100箇所以上の飛行場で、ANEOSの観測機器は活躍しています。弊社は、1990年の航空用風観測システムの納入から30年、日本の空の安全を見守ってきました。現在では気象庁所管の航空統合気象観測システム(略称 AIMOS)を設計から製造、設置調整および保守管理まで、ワンストップでご提供しています。
ANEOSの観測機器は、全ての情報をネットワーク上で管理する必要のあるAIMOSの実現に貢献しています。
長野オリンピックで、日本代表チームは、男子ジャンプ・ラージヒル団体で初の金メダルを獲得しました。
1998年2月17日、悪天候の中、スキージャンプ団体戦は行われました。その影響もあり、1本目のジャンプでは日本チームは4位とポイントを伸ばせません。さらに吹雪が強くなり、ついに競技は中止に。試合は再開するのか、このまま中止となるのか、世界中が固唾をのんでジャンプ台を見守ります。中止となれば日本は4位が確定し、金メダルへの道は閉ざされてしまいます。
ここでテストジャンパーたちが必死に飛んで、試合続行をアピールしました。幸い天候も回復し、2本目のジャンプが開始されました。北東の風、風速0.4m/s、風の弱まった今がチャンス。1本目で大失速した原田選手は、「脚の骨が折れてもいい」という覚悟で踏み切り、みごと137mのK点越えを記録。ラストは船木選手が安定したジャンプを決め、日本チームは悲願の金メダルを手にしたのです。選手たちの歓喜と涙に、日本中が感動したあの日。ジャンプ台の風を計測していたのは、ANEOSの風向風速計です。